新宿の高層ビル群や霞が関ビルの設計を担当した建築家の
池田武邦氏のインタビューを聴く機会を得た。
高度経済成長期、これらの建築ラッシュは戦後日本の復興を
目指していた日本人たちの夢の達成の一例であり、働く人を鼓舞し、
さらなる経済成長を肯定し、都会ぐらしを賛美した・・。
同時期の新幹線の登場なども同じであろう。
さて、この時代の寵児であった建築家は、
名だたるビルを次々手掛けるなか、あるとき、ふと気づいたという。
その話がとても心に残った。
どんなときも、当時最新鋭の高層ビルで仕事をしていれば、寒かろうが
暑かろうが快適に過ごせ、仕事がはかどる。
寒い冬の日は、あたたかく、暑い夏は涼しく・・・。
仕事に関するものはすべてビル内にあり、一歩も外に出なくても
用をすべて足すことができる。
だが、その建築家はある極寒の日、仕事を終え、
ビルから一歩外に出たとき、ほっとする自分に気づいた
という。
暖房の効いた快適な空間では味わえない
ほっとする気持ち・・。
これは人間が自然に向き合う瞬間にわかる
ものではないか。
人工的な空間の中では、それはわからない。
その後、その建築家は高層ビルの建築に携わることを
卒業し、地方に目を向け、日本人のルーツなる場所を
求め、その土地の復興をサポートする道を進んだようだ。
人工的、バーチャルなる世界に埋没すると、
人間的な感覚、そう、まさに皮膚感覚を忘れてしまう。
それでは、人間ではない。
AIの可能性を模索するのもよいけれど、
人間としての本当の幸せ、在り方をもっと追求した
方が良い。
単に延命すれば幸せでもない。
いろんなことが、戦後、アメリカナイズされてきたことで
日本自身が迷路に迷い込んでしまった・・。
ほっとする・・・これが本来の幸せだ。
経済成長の果てに、「ほっとする」はない。
「ほっとする」ことをもっと大切に、そのことに
価値を置いて、自らの行動の方向をみつめていきたい・・。
建築家の含蓄ある話から、何が人の幸せなのか
について、気づかされた。