観察して、活かす。

たとえば、親という存在。
血がつながっているはずなのに、まったく理解不能ということが
今でもある。
若い日は、反発してこちらが行動に出ればよかった。
今は、反発しても、相手が老いているので、あまり意味がないし、
心が痛む。

意味不明の言動、行動をとられても、まだ自分たちで生活できる
ので、何があっても「よし」とする。
そして、もし怒りや不信な気持ちが芽生えても、ぐっとこらえて
相手をよく観察するようにする。
ああ、こうやっていうんだ。なぜだろう?この人はどうして
こうなるんだ?どんな生き方してきたのか?と半生を想像する。
幼い頃のやりとりも思い起こし、一人納得もする。
怒りをぶつけても、喧嘩をしても、徒労に終わり、またお互いに
気分も良くないので、もうそれは卒業。

喧嘩できるだけ元気ということも言われるが、
最近は、観察する、じっと見守ることも大切だと
思えるようになった。そして、そのプロセスを大切に
し、人生の思い出づくりと、それを生かした創造に
生かせればと思う。

たとえば、父を主人公にしたドラマ、
両親が登場する喜劇
を表現するならどうするだろう・・・

そんな風にみつめていると、いちいち腹も立たなくなるような。
むしろ観察していて面白くなってくる

そう、少しひいて、少し客観的に。
感謝をもちつつ、そんな気持ちをキープできれば
良い。

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