自由は責任、自由は覚悟

世界が危険な方向へ向かっていると感じる今日。20世紀までとは明らかに違う軸で動いている。二度の大戦を繰り返し、傷跡はまだ消えていないのに、戦争という名の愚行はなぜこの現代社会においてもなくならないか。人は人類史上、何を学習して、生きてきたのか。戦争を越えて学んだことは次に生かされなければならないのでは?
報道、表現の自由。これはとてもありがたいことだ。でも、なんでも許されるということではない。自分の言いたいことだけではなく、相手のことも考えた言動、行動。言い方ひとつで、表現ひとつで、反対の効果を狙えることもあるだろうに。とやはり思えてならないのは何なんだろう。
大規模のデモ行進という手段も理解できるが、今、伝えたい相手にはその手法は伝わるのか?
なんだか利害関係が一致している者たちがまとまっているだけのような・・。でもそれでも何かしないと収まらないという事態なのだろうとも思う。
自由には責任も危険も伴う。保護されていないのだから、自分の意志で行動しているのだから当たり前のこと。
兵器と情報。両方ともが武器であり、凶器である時代。
これから、世界はどこへ向かうのか?弱体化する欧米、そこと敵対するロシア、感染病に悩むアフリカ、大気汚染の中国・・・。日本の近隣も不透明、ゆくえもよく見えない。
だから、世界中が助け合って共存すべきであるのに・・。自分の自由を主張するのではなく、認め合うのが自由の第一歩だということを伝えあえる世の中にしていきたい。世の中にはいろんな人がいる、多様性を認められることが一番大切だと思う。本当に悩ましい。日本は一見平和そうであるが、実はどうか・・。

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