20世紀前半のナチズムの情報発信行為を例にしながら、
「あれは同じPRでも、プロパガンダですから、私たちが目指すPRとは
違います。今日の企業や組織がすべきPRは、PUBLIC COMMUNICATIONSの
PRです」
と、そんな話をもう何度も何度もしてきた。
そう、プロパガンダとは、もう昔の、反面教師の、二度と現実にあってはならない情報発信行為。
言い換えれば、扇動的な発信活動。
気が付けば、現代社会はネットという手段が加わることにより、より加速的、拡散的、かつ
無責任的にプロバガンダの時代に突入している。
世界の大国がほとんどそうかもしれない。
ヒトラーの時代もそうだったようだ。気が付かないうちに、みんなそれがいいと思うように
なっていた・・・。そうなるように仕組んでいく、あるいは思考停止にするのが、
恐ろしいこのPR。
中立でなければならない、むしろ立場の弱い人(社会的弱者)を守る、どんな人も
社会で等しく元気に生きられるように応援すべきマスメディアも今や変わり果てた。
なんで、今、その話題を選ぶのか?
と毎日思う。
だから見なくても良い、見ては毒になる・・そんなメディアも少なくない。
知り合いのジャーナリストは、最近こんなメッセージを寄せてくれた。
新聞の役割って、
悲劇を二度と繰り返さない
とか、
いま、世の中で困っているひとをさらに生み出さない
といった点で、
弱者の視点を普遍化し、問題提起することなんだと思います。
・・・・・・・
そのとおり。
なのに、部数を競う新聞やとくにテレビは、プロパガンダへの道まっしぐら・・。
と私には感じられる。
やはり、受け手として、きちんとした受信力を身に付ける必要が
これまで以上に必要だ。
プロパガンダの次が、戦争・・というステップにだけは
絶対ならないように。
と、そんなことを危惧している合間に、オリンピックが
始まるらしい。