その昔、お正月三が日は、どこの商店もお休みで、みんなが休んで、みんなが新年を祝い・・だから、お正月から主婦が忙しく台所に立たなくていいように、みんなでおいしく食卓を囲み、新年を祝うためにおせち料理も誕生したはずであるが、最近は、元旦も休まずコンビニはじめ、チェーン店や観光地は営業し、ショッピングセンターも遅くとも2日から初売り。福袋というのが人気だそうで、高価なものほど飛ぶように売れる、そのために早朝、いや前日から並ぶ人もいるそうだ。セールは年々前倒し、季節が過ぎていないのに早々と売りつくそうとする。じゃ、最初からセール価格で売ればいいじゃない?とも思ってしまうほど。
一方、とくにアジアからのショッピング客が急増しているようだ。全国的に日本への観光客は増えているが、とくにアジアの方には、日本は買い物天国のよう。都内だけでなく地方のデパート店内にも中国語やタイ語らしき言葉が飛び交い、成田空港の出国窓口には大きなショッピングバッグを抱え、一仕事終えたかの満足感に似た様子で帰国の途につく人たちを多く見かける。モノをいっぱいもつ現代人・・・・。人類の進化は何かと考える。
貨幣経済になり、貨幣によりモノを消費する便利さを人間は知った。大量生産、大量広告、大量消費の時代は、発展途上国にも受け継がれ、モノを買うことが豊かだと思う人がまだまだ存在する。「豊かさ」とは消費の力であると、今だ思っている、そんな人たちが少なくないことを驚き、一方、ネット社会のおかげで、いつでもどこでも簡単に消費できることが当たり前の生活になっていることについても、考えさせられる。
私自身の生活もそうだ。セールといえば・・・。という時代もあったし、今もちょっと気になったりはする。後で気が付けば、着ることのない洋服、もつ機会がない道具がいっぱい残っている。結局、それは生活に不可欠なものではなく、消費した時点でその役割が終わっているのかもしれない。
この季節、各店舗から送られてくるDMを見るにつれ、作る人、売る人、買う人。この関係は何のために存在するのかと考えてしまう。もう、とっくにモノの時代ではないと思うがそれでも、シーズンになれば必ず新製品を連発し、そして消えていく・・・。モノが問題ではなく、このその繰り返しというしくみが問題なのだろう。人間は一体、これをいつまで続けるのだろう。やっぱり、モノの豊かさ以上に、心の豊かさをまっすぐにみつめ、その方向に動いていかねばならないと痛感する。
どこか時代遅れな消費型社会に、違和感を感じながら、かといって自給自足はできないのだから・・と自己矛盾を抱えつつ。
「消費者」この言葉もどうかな?消費という言葉は、いかにもネガティブだ。人生は、
人間は費やしている存在だけではないから、この行為の先に何かポジティブな世の中に少しでも役立つ行動をしなければ、経済の発展に踊らされる存在で終わっていてはいけない。消費のあとには環境問題もついてくる、などなど、自ら反省も含め意識を変えなければ。
消費の意味を問う季節
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