西部 邁さんが亡くなったとの報道に耳を、目を疑った。
ああ、ご病気だったのか?と思った瞬間、自死だったとの
ことで、驚きながらなんとなく納得できるような、複雑な
気持ちにもなる。
お会いしたこともないのに、なぜこんなにショックに思うのか
というほどに悲しく、そして、意思を貫き通し、本当に
自分の一生を自分の考えどおりに実行したその生き様に
深い感銘も覚える。
そして、このことを無駄にしてはいけないのだと
強く思う。
西部さんは保守派の論客としてあまりに有名だ。
最近では読まなくなったS新聞のコラムの執筆者
としても馴染みがあるが、自分が若いときから
えらい筋の通ったおっちゃんだな~。一見、難しそうな
ことを言っているが、実はわかりやすいなあとも
思っていた。
そして、まさに正論を生きる人なんだな・・とは
思っていた。
その方が・・・とは・・・。
お会いしたこともないのに、いろんなことを思う。
ご家族のこと。
そう、子供さんたちの気持ち・・。
このことを予感していたのかもしれないが・・。
自分の親とほぼ同年代だと思うと、さらに考えさせ
られる。
こんなに長く強く自分の思想を持ち続け、そして語り
続け、書き続け、そして・・・人生の最後の手段も
ご自分の考えにそって・・・。(自死という
ことはそういうことだと勝手に理解する)
行動の評論家であったというにも言葉が軽すぎる。
真の思想家だったと思う。
いつも、西部さんがテレビで、雑誌で自身の
考えを述べているのをみたり、読んだりするのが
好きだった。
保守という考え方について、こちらの理解が当時
まだ至らないこともあったが、
あの姿勢、生き様にはずっと共感をもっていた。
そう、人物として興味をもち、尊敬していた。
病院死への疑問・・・。
考えさせられる。
西部さんは自分の思想に命を賭けられたのだと
思う。だから、その死を無駄にしないで、
考え、行動していくべきだと、
お会いしたこともないのに、強く思う。
実は今朝は別の素材を用意していたが、
急きょ、西部さんの訃報に接し、
このことについて書かずにはいられなく
なった。
人はこういう形で、人生を閉じることも
ある。
三島由紀夫もそうであった。
いいか悪いかではなく
そこから学び、生かすことが
残された人間の役目だと・・。
西部さんのような存在こそ、
生きたメディアとして(あえてそう書く)
生き迷う多くの人々に影響を与えてほしい、と思い、
お元気にこれからも活動を続けて欲しかった。
でも、最近は心配していた・・・。
だから、悲しい。
そんなに悲しくても、自分は生きている。
それぞれ、自分の人生を生きている。
新しい今日が始まった。
生きる以上は、一生懸命にやらねば。
自分のミッションを果たすのが
人生だよ。
と、会ったこともない西部さんが
そういっているようにも思える。
今日のミニコンサート
こんな気持ちを抱きながら、
精一杯の笑顔で私のミッションを
果たしたい。
精一杯生き、人生を終わっていく
人生の先輩に、敬意と哀悼の意を
表しつつ・・・。
多くの方から惜しまれる人生は、
素晴らしい。と思う。
ご冥福をお祈りいたします。