どこかで、誰かが自分を・・。

生きていると、突然、わけもなく寂寥感に襲われる・・・そんなことは
ないだろうか。
周囲に関わる人間がいても、孤独を感じることはある。

どこまでいっても、人はひとりで生まれ、ひとりで死んでいく
存在だから、基本、孤独である。
生きることとは、不安定、心配な状況のなかで、
与えられた時間、この世に存在するということだ
と思う。

不安定や孤独が怖いから、いろんな安定を求め、努力するのが
これまた人間の特性である。
だから、いろんな宗教やビジネスが生まれたりする。

私自身も、日々、これが日常という感じで孤独を味わっている。
自然に生きていれば、そうなる。
でも、孤独と思うのは、自分中心に考えるから。
自分の
生きる軸を、目線を一歩外にむけると、世界の見え方が
大きく変わってくる。

つい最近、ブエノスアイレスで活躍する日本人の
知人からメールが来た。

一昨年前、ピアソラのお墓参りに行きたいと思ったとき
サポートしてくれた人だ。
久しぶり、かつ地球の裏からのメール。
その1本で、私の中に、いい気が沸いてきた。気持ちいい風が吹いてきた。

ああ、あっちでがんばっている人がいる。
著名人でもない
自分を忘れず、海を越えて(?)連絡をくれる。

再会を楽しみにしてくれる・
そのことがとても、うれしい。
これまで、まいてきた種がどこかで生きている、育っているのだ
と思ったりもする。

世界中のどこかで誰かが自分を覚えていてくれていることを
そのことに触れる瞬間を大切にしたい。

人は心からつながれる。
孤独と戯れつつ、時々巡ってくるこんなひととき。
とくには、
世界地図を見ながらゆっくり味わい、感謝したい。

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