「なぜ」の答えには、語れば長い物語もある。

なんでも「なぜ?」を問うことはその事実を理解するのに、とても大切だ。「なぜ、そんなにいつも元気なんですか?」と言われることも多いが、それにはそれなりのわけがある。といえばカッコいいが、全然かっこよくない。子供のころから、周りの大人が当たり前にしていることをおかしいな、なんでだろう?と観察し、反抗的な言動をしているうちに、それが行動となり、誰にも後ろ指をさされないようにと必死らしく?生きてきたら、こんな風になっていた。ということで、そこにいたるまでのプロセスや小事件は無数にある。いろんな積み重ねで今がある。おそらく誰でもそうだろう。「私って思ったとおりに絶対にやる性格なんですよ」とはっきり言い切る方がいた。「なぜそんな風かと言われたら、話せば長い物語です・・」とその方は自身の生い立ちから、今日にいたる人生のエポックについて語ってくれた。
そんなわけで、「なぜ」の答えは一言で言えない場合も多いけれど、どんなときも「なぜ?」の疑問を持ち続けることは大切だ。どんな存在にも、どんな事象にもその理由があるはずだから。そのことを理解することで存在を理解できることが多いはず。いくつになっても、「なぜだろう」という視点を枯らさずに持ち続けたい。その理由が面白い場合だって少なくない。
また、「なぜ」について、しっかり答えられる人はしっかり生きている人だと思う。理由や意味がないものは、この世に存在しないはずだから。

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