こう生きていたかもしれない、そんな人との出会い

年末、ある方からのご紹介で、30年もの間、ずっとピアノの先生をされている方にお会いした。音楽関係者からのではなく、ビジネスマンからの紹介だ。ピアノの先生としてだけでなく、もっと事業をしたいということでいろいろコラボができればということでのご紹介。
ご紹介者と一緒にお会いした後、一度、その方とさしで話したくなった。
尊敬の念と、懐かしさと、共通点と・・。いろんな興味が自分の中で交雑した。
なぜならば、私自身、親からピアノの先生になるようにと3歳から音楽の世界に入ったものの、18歳で親の考えとの違いで、そこから逃亡し、そして・・・という人生であるため、
ずっと音楽教育の道で生きてこられているこの方がいったいどんな人生観をもち、どのように歩まれてきたのか、そこを外れてきた私の人生は果たして良かったのか。。を確認したいと思ったのだ。音楽教育その道一筋の方が、さらにそれを子供だけでなく、大人、ビジネスの世界にも広げたいと思われているその熱き思いと、自分が目指す~音楽をもって世のなかをもっと元気に~という理想に共通点があるのではないか・・。真に自立する生き方とは何か・・
とにかく話してみたい、きいてみたいという思いにかられ、新年お会いすることになった。
気が付けば2時間半。話題が途切れることなく、そしてお互いまだ知り合って日も浅いが、自分の生い立ちから、今日にいたるまでのさまざまな体験について、ごく自然に語り合い、泣き、笑った。ああ、偉いな。ピアノの先生も素晴らしい仕事だ。改めて思った。そして、自分の今を支えてくれているかつてのピアノやオルガンのいろんな先生の顔が浮かび、大変懐かしくなった。「結局、演奏の技術を学んだだけでなく、その先生の人柄をも学んだのだと思います。」そんな話もし、また「音楽の上達、成長は先生と、そして親の影響も大きいのだと思います」とも・・。ふと小学校1年のエレクトーンの教室で、母親が教室の隅でせっせと、不慣れなローマ字CとかG(コード)とかを必死にメモっていた姿も思い出され、胸が熱くなった。
音楽はいろんな形で世の中の役に立つことを今回再認識した。私は、もう音楽教師という役割には向かないだろうが、ひとりの表現者、伝達者としてがんばっていきたい。という思いを新たにもった。久しぶりにお会いしたピアノの先生は、とても筋金入りだった。ますますのご発展を心から応援し、私もがんばろう!新年の面談にふさわしいひと時をいただいた。

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