どの駅も同じになることなかれ

便利とは均一性と関係あるのだろうか。東京は日本一、いや、世界一便利でキレイな町だろう。そして東京駅も新宿駅も上野駅も品川駅も本来の駅以外の機能を充実させ、ワンストップサービスという点からも利便性が高い。そして名古屋も大阪も京都も、仙台も今回途中立ち会った博多駅も、各地域の主要玄関であるだけあって、大変立派で商業施設も充実している。間もなく、新幹線が開通することで、金沢駅もより近代化され、さらに他の駅に負けないターミナル、日本海側の最新の陸の拠点として再スタートすることだろう。
これらの地方の大都市が便利で美しくなっていくことに安心感もある一方、どんどん東京に似てくることに危惧も抱く。どこへいっても同じチェーンのお店の看板が増え、見た目も匂いも均一な感じ。降り立ったときの不思議なわくわく感はあまり感じなくなっている。こてこての、その町らしさは薄くなってきている。地方の活性化には大手資本に頼らないとできない現実も理解できるが、郊外の大型SCも、駅のSCもなんだか「おもしろくない」のである。そして印象にも残りづらい。たとえば博多駅から見る景色を仙台のようだなと思ったり、どこか似ているような・・・感じがする。
便利であるけれど、わくわく感がない。土産もすでに東京でもネットでもいつでも買うことができるため、各地でしか売っていないモノに出会いづらい。もちろんそういうモノを探す楽しみもあるけれど、「どこでもおんなじ」になっていくことにはもっと慎重になっていく必要があるのでは。人が集まるためには・・・有名であることが不可欠であるけれど、その町にしかない、小さながんばり!の現場があるはずだ。そこを忘れないようにしたい。
今回訪問した長崎駅は、観光地らしいにぎわいがある。がまだ独自な空気が漂っている。どこにも似ていないその町だけの個性、魅力。忘れることなく磨いていくことがますます求

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