良質な「受け手」でありたい。

本当に世の中、情報だらけだ。
ゴミ箱なのか、宝箱なのか。
それすら、わからなくなるほどの情報量のなかで
本当に真なるもの、自分にとって役に立つもの、心豊かにして
くれるものを探していく努力が必要な時代と言えるだろう。

そんななか、強く感じるのが、
受け手の見識が大変重要になってきているということ。
与えられた、目の前に現れた情報を鵜呑みにするのは、
そのまま信じるのはときに、危険。
純粋に素直に受け取りたいが、モノによっては、冷静に
客観的に受け留めなければならない。

ときに「疑う目」をもつということだ。
ワンクッション置くということでもある。

そのために、簡単に入手できる目の前の情報に接するだけでなく、
いろんな人に日頃からあって、世の中には
さまざまな思考の、価値観の多様な人間がいるという
ことを知っていることも良質の受け手でいるために必要だ。

今は特別な人が発信する時代ではなく、
その気さえあれば、誰もが送り手になることが
できるため、その質も見極めていく必要があるのだ。
人は感情の動物であり、欲望の存在である。
そこから発信される情報はときとして恣意的なにおいも
発する。
それも受け手はきちんと嗅ぎ分けなければならないのだ。

賢い受け手が増えれば、悪質、低レベルな発信者は淘汰されて
いくだろう。
情報の受発信にはパワーが要る。
だから、時間つぶしには使いたくない。
どうせ発信するなら・・、せっかく受信するなら・・。
そこをしっかりと考えて、行動したい。

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