ちょっとの我慢と不自由で、健康と自由のありがたみ。

年末の健康診断。正直、この健診は苦手なことのひとつだ。もちろんそれが好きという人は
いないだろうが、しぶしぶ申込み。
何が嫌かの理由はいろいろあるが、前夜や当日朝の食事制限も嫌な理由のひとつだ。

とはいえ、前夜は忘れており、軽く飲酒してしまったが、まあよく寝たし、まあ良いだろう
と自分に甘い。
当日の朝が肝心だ。朝は水かお茶のみ。とのこと。ここは守らねば。
・・・と、
こんなささやかなことが苦痛。朝が早いため、検査までの数時間その状態でいるのが不自由だと感じる。
コーヒーを飲みたければ飲み放題、フルーツであろうか、なんであろうが欲しいものを
欲しいだけ飲み食いできる。この贅沢、この自由のありがたみを不自由な瞬間に感じる。
あ、いけないんだった・・・と開けた冷蔵庫のドアを閉じる。

以前、断食のリサーチに行った際、3日間の体験をした。
これもなかなかつらかった。
1日何回か自然に、好きなものを食べる・・・という習慣を制し、
とにかくお茶・水だけで過ごす・・。この時間は修行のようであった。
が、これは貴重な経験で、得たことは多かった。
ダイエットにも良かったし、収穫や味覚など食に関する
感覚が研ぎ澄まされたことも発見・収穫であった。

人間、ときには不自由になることが大切だ。
そうすることで得ることは多い。
自由のありがたみ、ひいては健康でいられることのありがたみ
を実感することができる。
そのための、多少の不自由は我慢しなければならない。
そう、現代人は我慢ができなくなってきているかもしれない。
だからこそ、この検査はその意味でも大切な経験を与えてくれているのかもしれない。

水やお茶しか飲んでいけない・・・と言われると、そのとき味わう白湯やお茶の味が
格別に感じられる。普段はなんとも思っていないのに・・。
そして、検査後に飲むコーヒーは格別だ。
自由への解放を勝ち得た心境にも似て・・。
と言うと大げさであるが、
ときに、不自由な経験をすることで、いかに恵まれているかを知り、周囲への感謝が
生まれることは良いことだ。

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