どこに行っても追いかけてくる二人

ある歴史作家の先生に
「ザビエルと信長は実際会っていないはずですが、二人の接点がどうも気になって・・。たとえば
現実では出会ったいなくても、作品の中で出会うというのはありですか?」
とおたずねしたら、
「ほぉ~。それは面白い。いつか書いてください。
そのときはぜひ私に見せてください。楽しみにしています。」
といって、先生の蔵書を貸してくださったことがある。

いつ形になるのかならないのか、どう表現されるのか・・・まったく予想もつかないが、
私の頭の中では、常にこの二人がもれなくついてくる人生に、偶然を越えた運命を最近感じている。
たとえば、京都。
ザビエルは、時の天皇に布教の許可を得たく、京都まで出向いたが、天皇に会えず、
再び、西へ向かう。
一方、信長は天下統一を目指しながら、岐阜~安土から京都へ・・・。
そして本能寺の変でその生涯を閉じる。京都でジ・エンドだ。
ふたりとも京都で夢が開かなかった・・・という人生。
と、まあ、こんな風に京都で二人のことを結び付け、そしてわが人生を重ねる。
東京時代を経て、今、ふたたび西に向かって動き始めた私は、ザビエルや信長の追いかけた
夢を私なりに描きたいと思っている。
これは、かなり妄想であるが、悪いことではない。
本能寺へ再び赴く。信長のお墓の前に立つ。

「信長さん、あなたが歩んだ名古屋、岐阜、安土、そしてあなたが火をつけた延暦寺、
そしてここへと歩んできています・・・。もしかして、呼んでます?まさかね。」
500年前にもし生きていても、二人に会えなかっただろう。たぶん。だから、
今、想像の世界で出会い、交流しながら、歴史から学ぶことを、自分なりに
生かしたいとかなり真剣に考えるそんな私は、うつけものだろう。

ザビエルと信長。この二人のおかげで・・・と思うことは多々ある。
人は興味あるところから、人から十分に歴史に学ぶことができ、人生を楽しく
することができる。

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