被写体としての発見とわくわく

新潟のショーの撮影にいつも無理をお願いしているカメラマンがいる。
彼が撮る写真には、感動的かつ、永久保存ではなく、永久現役にしたいものがある。

今回のディナーショー終了後、数時間も経たないうちに、すぐに撮影した写真がたくさん送られてきた。
毎回年を重ねている身としては、どきどきはらはらの瞬間.わが身の老い度を確認するようなものだから。
そして、被写体としてはどうなんだろう?と自分を客観的に確認する緊張感もある。
怖さと楽しみの両面がある。
そのドキドキな状態で演奏写真をチェック・・・すると!と飛び上がりたくなる写真がある。

今回も、それをみつけた。

よく、こんなモデルでこんないい写真になるな~。よくタイミングをみつけてくれたな~。
彼は私のリハーサル中からずっと私の演奏を全角度から、ひきで、寄りでチェックし、
ベストなアングルをイメージ、構築する。
「もう、練習しないんですか?もっと弾いてくださいよ」
と言いながら、真剣に私を被写体として追いかける。

そんな観察眼とシャッターチャンスから生まれた1枚なのだろう。
専門的なことはわからないが、被写体として正直嬉しい。

素敵な写真。次が楽しみになってきた。
お客様が演奏を聴いてくださり、カメラマンには被写体として見ていただいて・・
わが身が「被」なる存在になる瞬間は、とても貴重で有意義だ。

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