今年の前半は、引っ越しを前に、多くのモノを処分した。
とくに直前には、かなり思い切って処分した。
売ったり、人にもらっていただいたり、捨てたり・・・。
とにかくモノを減らさねばという思いが先行し、そのモノに向かいあう
ゆとりもなく、とにかく処分処分。
そして 引っ越しが終わり、今になって「あれ、どうしたかな?」
とそのモノの所在を思い出すが、すでにもうない。
どこにいったかすら覚えていないものもある。
もらっていただいた方の場合は、理由があってお渡ししたので覚えて
いるが、売ったものはあまり記憶に残っていない。
とにかくそのときは捨てなきゃ、荷物減らさなきゃとの勢いで、処分し続けていた。
何年も使わないもの、着ないもの、読まないものなどを整理したのはいいが、
後になって、「ああ、あれは?ああ、しまった~」と悔いる瞬間もある。
最近、そんなことが何度かあった。
そのモノには背景や思い出があったのだ。それをしばらく忘れていたのだ。
モノは不思議だ。
勢いで購入したものなどは、あまり愛着がないが、
あそこで、ここで あの人から、こんな会話で・・・
とモノを通じて、いろんな物語や思い出があふれてくるものは、
捨てられない。
もちろん気持ちが変われば、忘れたければ、処分すればよい。
が、
愛着があるもの、思い出があるものは大切にしておきたい。
そして、余計な消費をなくすこと。
モノを増やさないで、あるものを大切にしていく。
もし、ほしいと思っても、本当に大切にできるかどうかで
判断すること。
せっかく働いて購入しても、すぐに不要になるのはもったいない。
せっかく苦労して手に入れたものが、
ネットオークションなどでみたときに、なんと安っぽく、寂しく
見えることだろうかと想像してみる。
モノにも魂があるのかも。
大切にされたものには命が宿り、
捨てられたもの、売られたものは、その命がしぼんでいくような・・。
もちろんそれをよみがえらせるのが、今のリサイクルビジネスでは
あるので、それはそれで意味があるが・・。
それにしても、モノについてよく考えよう。
一番の幸せは、好きなもの、本、人、音楽・・・に包まれて
生きることなのかも・・。
だから、思い出と物語があるモノを大切にしていこう。
東京時代は、消費の時代だった。ひとつの時代が終わって
良かった。
いつまでも、作り続け、売り続け、買い続け・・・なくて良い。
その時代を過ぎて、心の充足について考える。
思い出、物語。を大切に。
アメリカで毎年恒例のギビングサンクスセールが始まると
売りまくって、買いまくる・・・。
このお決まりのサイクルにふと、疑問もわきつつ・・
そんな季節の到来に、改めて・・。
消費に踊らされるのではなく、出会ったものを大切にと
自戒を込めて・・・。