アウフヘーベン、実践。

かのヘーゲルが残した弁証法「AUFHEBEN」という考え方。日本語で「止揚」という。
歴史はまさにこの止揚する。「正・反・合」と自らにとって相反する、あるいは異質なものを
受け入れ、すべての経験を受け入れ、どんどん発展していくという考え方。

たとえ、混沌という状態であっても、いずれは時間とともに、いい結果が得られるという
長期的な視点ではあるが、前向きな考え方だ。
これがヘーゲルの歴史哲学の原点にもなっているとも言われる。
私はこの「アウフヘーベン」という言葉が20代から好きで、音楽の形式でいくと1,2,3、
1,2、3と進んでいくので、前向きなワルツだと思っていたし、
わがグラン・ルー自身も弁証法的な観覧車になりたいと思っていた。

そう、単にくるくる回るのではなく、らせんのように、周りながら上昇していくイメージだ。

ある政治家は、最近この言葉を使った。
しかし、行動はそのとおりではなく、単に言葉のかっこよさとか、思いつきで使ったのか
とにかくその言葉は似合わなかった。コトバどおりにいったら、結果はまた変わっていた
のかもしれない。いずれにせよ、いろんな意味でとても残念だ。

それに関連して、最近、親しい人とこの「アウフヘーベン」について語り合う。
「これまでの歴史だったら、混沌があっても、次の明るい時代が来たし、希望も
もてたけれど、今のこの状態だと、世界にはこの先、もう破滅しかないのかも・・・。」
とても残念であるが、その見方にはとても共感している。

少なくても、社会全体が良くなろうと思えば、ひとりひとりが自分のことだけを
考えるのではなく、周囲を大切にしなければ、弁証法的に生きるには、厳しい観察眼も
必要であるが、思いやりや気遣いが大切だ。

このことなしに、個人主義、ご都合主義、自分さえよければ・・の人が
増えていく以上、社会は破滅に向かうのだと思う。
アウフヘーベンという言葉が死語にならないように、と心から願う今日。

ベートーベンやモーツアルトの創った音楽が今日も人々の心を揺さぶったり、
落ち着かせたりするように
過去の偉大な哲学者たちが遺した考え方を、大切に現代に生かすようにしなければ・・。

この「アウフヘーベン」実践。まず自分からだ。
謙虚に、感謝の気持ちをもちながら、ポジティブに挑戦を続けていくこと。
とにかく、まずは自分から。

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