人はいつから、うつむくことが多くなったのか。
手のひらの中の、自分の狭い世界と対話することを
好むようになったのか。
顔を上げれば、目の前に、素晴らしい世界があるというのに。
コミュニケーションの原点は、人と向かい、人と交わり、人とともに生きる。
ということだと思う。
今は、その「人」はどこに?
目の前の人ではなく、手のひらのなかの見えない人とやりとりすることに
違和感を感じない人が増えている。
人とつきあうことは、生身同士であり、ときに面倒で ときに腹も立つ
かもしれないが、生身だからこそ、関係が修復できたり、もっと仲良くなったり
できる。顔の見えない言葉は、本来、通じ合うのが難しいはずだ。
そんななか、最近社会を驚かせている猟奇事件。
SNSで知り合い、短時間で連続殺人まで成し遂げてしまった犯人。
この人物のことを、ある評論家は
「すごいコミュニケーション力の持ち主だ」
と言っていたが、その言葉には複雑な思いがある。
ある意味当たっているが、だからいいわけでは、決してない!
コミュニケーションはそんなところで使うべきではない。
コミュニケーションは人が幸せに生きるために、助け合うために
ある人間だけに与えられた伝達という行為なのだ。
いま、社会全体がコミュニケーションの意味を間違って
解釈しているむきもある。
人間として、ちゃんと生きる。
人間として、ちゃんと通じ合える関係をつくる。
この基本を今一度、問い直したい。