悲劇に慣れないように。

世の中が便利になればなるほど、その弊害も顕著になる。
ネット社会の功罪について、とくに最近気になることが
多すぎる。
情報の垂れ流し、容易な入手により、思慮、配慮のない、
善悪の分別のない、常識では考えづらい
選択・行動をする人もいるようで、悲しすぎる事件が多発している。

残忍なテロも後を絶たない。
人が人と思わない、攻撃することがあたりまえ、この上なき自分勝手、
かけがえのない命を粗末にする風潮・・・。
容易に可視化されるこの環境が、残忍な結果を生み出す原因にも
なっている。

今、この世の中には、人間自身が生んだ誤解と憎悪に満ちており、
その結末がさらに懸念される。
人が死ぬこと、殺されること、このことに無関心になっては
いけない。
他人事ではないのだから。

キレイごとを並べ立てる政治家には、こんな事件が
起きない社会にすることを、まず優先してほしい。

いい事ばかり言っていても、現実社会には遠い、
もっと今すぐに着手しないと取返しのつかない
ことが、憂慮すべきが多いのだ。
まるで、別世界にいるように見える。

経済以上に、人のいのち。安心安全な社会づくり。
そのための人づくり。そう、教育や哲学こそが
必要。無償にするかどうかではなく、中身こそが
大切だと思えてならない。

そのことに目を向けない人たちが、世の中を動かしている限り
悲劇はくりかえされる。
この悲劇に慣れてはいけない、麻痺してはいけない。
慣れてしまうと、もっと恐ろしい社会になるのだから。

賢明な謙虚な時代に戻りたい・・・・
暴力的な悲劇のない社会に住みたい。

カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク