背筋が伸びる500周年。

なんと、マルティン・ルターの宗教改革から、今年で500周年だそうだ。
ドイツでの式典のニュースを知る。
プロテスタントの教会で育ったメルケル首相も出席されていたが、
無宗教の私にとっても、この500周年は感慨深い。

なぜなら、信仰は教会だけで行われるべきではなく、
聖書を通じて、各人がそれぞれ祈りを捧げることで
成就できるものといった点。
そう「聖書」が必要とされるようになり、印刷技術が
これにより進化することになったのだ。

宗教改革なしには、グーテンベルクも後世に名を
残さなかったし、こんなに世界に印刷が普及しなかった。
ザビエルが来日した段階では、聖書という概念は
なかったはずだ。対話による伝達から、聖書と言う
ツール(メディア)による普及だ。

その聖書が500年信仰の書として愛用され続けて
きた現在、信仰を導くツールも、ネットに移行しつつあり、
そしてその影響から、悲しい事件も多発している。

この500年という節目。
信仰という立場だけでなく、
コミュニケーションの視点から世の中の変遷を振り返る
ことは大切だ。
聖書を精読し、純粋な信仰に生きた人々の時代。
もちろんその教えは今日も受け継がれているが、
コミュニケーション手段の多様化で、人間の価値観も
表現方法も多様化し、
真なるものへの向かい方が変わってきたような
気がしてならない。

この500年の節目の秋に静かに世の中をみつめたい。
この5世紀の間に、果たして人類は、進化しているのか?
そんなことを考えたい。

マインツに趣き、ドイツ印刷の歴史に触れ、
いかに印刷技術が、人類の歴史において
重要なものであるかを知った喜びと誇りとを今、
改めて振り返りたい。

たまには、500年前の時代に自らをおき、
スマホではなく、
大切な一冊をを手にとろう。

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