いのちある限り、弾き続けたい。

演奏当日はかなりの集中力のおかげで、心配した手の痛みもないまま
ピアノの上を指たちが動いてくれる。
調子にのった。練習のときより、楽に指が開くのでオクターブで
強いタッチでタンゴを弾き続けた。
昼の部が終わり、お客様が帰ったあと、右手首に激痛が走った。
「あ、やりすぎた・・」痛みがおさまらないまま、夜の部へ。
選曲を見直し、激しい曲を避け、楽に弾けるものを優先して
夜の部に・・。
本番のときは痛くならない。いかにうまく弾き終えるかだけを
考えて、丁寧に演奏を続ける。
調子にのらない。ノリをおさえる。
最後まで慎重に。その意識が相乗効果を発揮、ライブ自体は
無事に盛況にて終了。
本番が終わって再び、手首に激痛が戻る。
やっぱりあかんわ・・。
なんとか後片付けを終わらせ、帰路に着く。
その後、しばらく手を休ませなければと思っていたところ
知人より心配の連絡をいただく。
そして、あるピアニストは右手を失ったあと、左手だけで
演奏している。だから、片手で弾くということも考えては
どうか?
との助言もありがたく頂戴する。
片手で弾く。そう、片手しかなくなったら、そうするだろう。
弾くことはやめることをしないだろう。
でも、今はおかげさまで、両手がある。左右使える。
だから、ついつい多少の痛みがあっても、やるときは
やってしまうのだ。
手がある限り、弾き続けたいのだ。
ステージで涼しい顔をして演奏している演奏家も、
競技場できりっとした顔をして勝負しているアスリートも
その前後には、かなりの苦痛と闘っていることも多い
ことと思う。
足がある限り、歩き、走る、手がある限り、指がある限り
弾き続ける。
でも、それを長く続けたいのであれば、決して無理をしては
いけない。
知人の助言はそこを思ってのお言葉だろう。
80歳まで、もし生きてしまうならば、そのときもすらすらと
できればベートーベンやショパンを弾きたいのだから。
さて、少し手を休める日になるようにつとめよう。

そう、いのちある限り。弾き続けたいのだ。

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