異質なる心の隣人に接する。

同質の人の中にずっといると、世間が狭くなり、物事の本質が見えない。
多くの人はどこかに、何かに属している。それはそれでそれぞれの目的が
あり、良いと思うが、
同質の世界にどっぷり浸かることは気を付けたい。
この変化の激しい、また情報大洪水の現在、
世の中を広く見て、何が本物か、何が正しいのか、世の中はどう動いているのか
を実感するためには、より多くの異質なる人々とよく会うことが大切だ。
あるいは、何年も会っていない人、その間に変化していった人との時間も
新鮮かつ有効だ。

この2日間。京都での時間。
会社員時代の後輩で、子育て中の主婦。デザイン会社の社長たち(創業した人と、3代目の人。)、
女手ひとつで子育てをしてきたたくましき社長と、定年後に夢を抱くアラカン男子。
飲食業から転身したタクシードライバー、東京から岡山にUターンし、美容業から転身、介護の勉強をしている乙女・・。
こんな人たちと情報交換する時間をいただいたが、それぞれに刺激的で、自分とは違う人生で、
勉強になることも多かった。
同じ話題を提供しても、違う反応もあり、自分と反対の考え、生き方をしている人の考えにも
触れることで、世間というものを知ることができる。
ああ、こんな人もいるんだ~。ショックでもあるが、社会の縮図を知ることは有効だ。

自分の考えや選択が絶対ではない。もちろん自分なりの見解・意見・哲学をもつのは
とても大切であるが、積極的に異なる存在との時間を大切にしよう。
これは人生勉強でもある。
もちろん会いたい人と会うということが大切だ。
何かを共有でき、応援したい、また会いたいとお互いに思える関係がいい。

同質の世界に染まらないこと。
どこまでいっても、客観的に世界を見続け、その中での自分の立ち位置を模索し続けるためにも
異質なる心の隣人たちを大切にしよう。
と改めて思った、京都時間。

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