プライドを保つことについて、考える。

父がもう今月後半で、81歳になる。
おかげさまで、頭も体も同じ年齢の男性の中では、元気な方だと思う。
毎日のたわいもない夫婦喧嘩が、脳の活性化になっていることは
間違いないだろう。
話す相手がいる、喧嘩できる、むき出しのコミュニケーションが
ずっとできる、言い換えれば何十年もしてきたことが、ずっと
できるということは、人生においてとても幸せなことだと、
素直に思う。
やかましい実家の両親の喧嘩の現場を見るにつれ、近くには
いたくないが、傍目から見ていて、二人が元気でいることを
ありがたいと思う。

そんな元気な親であっても、だんだん老化のおかげで
生活に変化、変調が出てくる。
たとえば車の運転だ。
いつまでも、車を運転していてよいのか。
ここは大変悩ましい問題だ。
とくに、私の父は、私が生まれたときから、頼れるアッシー君
であり、私の音楽での成長は、父の支えのおかげとも
いえるから・・。
運転が自慢の父から、車を取り上げることはとても心苦しいこと・・。
でも、そろそろそうしなくてはならない。
同級生が亡くなったり、施設に入ったり、
元気で自由に動ける人が減って、
それだけでも寂しいのに、車がないと・・。
でも、それを前向きに乗り越えてもらわねば。
今、父とできる新たなことをいろいろ模索している。
父が喜ぶこと、やる気がもてること、何かないかな。

人は小さくてもプライドを持ち続けることは、ある意味大切だ。
これができる、これはできる。自分はこれがすごい。
と思えるところは大切なのだ。
今、父のいいところ、喜ぶポイント、好きなスポット
をあれこれ考えている。

生き方が真反対なだけに、骨も折れるが、これが
私の新たな仕事だ。父の笑顔のためにがんばろう。
と、勝手に自分に新たな課題を与えてみる。

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