久しぶりに両親と妹との4人での食事の時間をとる。それぞれ違う場所で違う生活をしているとそれがままならない。正月もそれぞれの生活を過ごす習慣になっているため、年末にバタバタっと駆けつけて、2時間ほどの食事。
母は本当に胃がん患者かと思うほどの回復ぶり。「半年前の入院、手術が嘘みたいだね。今年も全員揃って正月を迎えられそうで、良かったね」という会話。
本当にそうだ。一時は本当にこんな日が来るとは思わなかった。それなのに、こうして全員で食事をしている。父は上機嫌にお気に入りの麦焼酎をお湯割りで飲みながら、ご機嫌さんだ。
「お父さんは、一生私のアッシー君だね。」と冗談交じりに言うと、意外にも喜びながら反応する。そう、70年以上、父は私や母の運転手だ。それをなんだか、誇りに思っているのか、
にこにこしながら、「そうやな~。毎日名古屋へ通ったな~。」そう、会社の勤務時間が終わってからの毎日のレッスンの送迎。よく、やってくれたものだ。「あの頃は若かったからできたんやな」・・・・とそんな会話をしながら、ふと、この4人でいつも食事をしていたのだ。
この4人が家族で、毎朝、毎夜・・。もう離ればなれになって30年以上経つが、私の食卓の原点はこの4人での食事だ。
ふと、いつの日か「最後の晩餐」になるのだろうが、できればずっとずっと先がいい。そしてできれば、寝たきりとか、注射ではなく、ずっと自分の手で、口で、話をしながら食べる。
それがいい。
最後に何が食べたい?ではなく、もしかしたら、どこで?誰と?どんな風に?がもっと大切なような気がする。
最後の晩餐は、ずっと先でいい。そんなことを思いながら、帰りの新幹線にひとり乗った。
最後の晩餐は、ずっとずっと後でいい
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