評論家という仕事の価値は何か?と若いときから思っていた。人のことを、世の中のさまざまな事象について客観的、自由に記す仕事。マスコミが存在しなければ、このような仕事は成立しなかったのかもしれない。そういう場があるから当事者ではない人の声も必要、また事実をある視点から読み解くことは時として必要。それはわかるが、そのことに対し、体を張ってもいない人が、現実に行動している人のことを上から目線で語るのは違和感が残る。
自分が人に伝えたいことは、人様のことではなく、自分のこと。自分の行動から見えてきたことは少しは伝える意味があると思う。本で知った、ネットでちょっと調べた理屈ではなく、経験から導き出されることこそが真理だと思う。
だから、もっともっと経験を積む、挑戦をする。これを止めてしまったら、新しいネタもなくなる。過去に頼るほど、自分の歴史は立派ではない。
だから、いつも現在進行形、未来志向でなければならない。
やってこそ言える。一番の説得力は経験に基づく学びだ。
だから生涯現役で、迷わず、冒険をし続けなければと思う。
行動から湧き出る言葉を紡ぐ。そんな生き方を意識したい。
やってこそ、はじめて言える。
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