毎日の生活では、いろんなモノを使い時間を費やしている。
そのモノたちを使うとき、
それを選ぶ理由を大切にし、そのモノの背景も大切に
したいと思っている。
朝起きて、いただく一杯のコーヒーから、それを入れるカップから・・・
これはあの方からいただいたありがたい豆、これはあの町へ
行ったときに入手したもの・・・。
使うもの全てが自分にとっていい思い出、イメージになっている
ものだけを選び使うことで、小さなことではあるが、1日が、
ひとときが幸せになるのだと思っている。
反面、信頼できない人、思い出すだけでも不快な人に
関わるモノは決別したい。
変な奴と思われるかもしれないが、不快この上ない診察を
し、顔も見ないで処方箋をほいほいと書き・・・という
医者が出した薬は、飲みたくない、塗りたくもない。
その人のことを思い出すからだ。
人と薬は関係ないとは思えないのだ。モノを通じて嫌な
場面を思い出すのだ。
その薬を手にとって、不快になるならば、治るわけはない。
だから、その薬自体には罪がないけれど、ゴミ箱行きとなる。
一方、名医でもなんでもない、地道にやっている薬屋さんが
心配して分けてくれた塗り薬は、塗るたびにその人の顔が
浮かび、ありがたいと思えてきて、患部も和らぐ感じがする。
事務的にリハビリを教えてくれるより、家族が手伝ってくれる
テーピングの方が自分には効果がある。
そのモノからそれにかかわる人の愛や気持ちが伝わる
からだ。
店にならんでいる、ネットを飾るあまたあるモノたち・・。
結局、リピーターとして買い続けられるものは、
きっとそのモノから、透けてくるものがあるはずだ。
透けてこないものは、もしかしたら、本当に必要なもの
ではないのかもしれない。
不思議だけれど、モノからは透けて見えてくる人や
時間がある。
自分自身も、どこかで透けて見えている側になっている。
何事に対しても、心して、丁寧に寄り添ってかかわる
ことはとても大切だと思う。