ある方と久しぶりにお会いし、一緒に食事をしながら
いろんな会話をした。
そして、あとでお礼のメールを交換。
すると
「あなたと話せて、心の洗濯ができましたよ。いろいろ迷っていたもので・・・」
とのお言葉。
私より一回り半ぐらい、年上の方なのに、迷われたり、悩まれたり・・そうか~。
誰かにとって、自分がそこにいることで、一緒にわずかな時間を過ごすだけで
その人のお役に立っていればうれしいことだ。
心が洗われるとは、いかにももったいない表現であるが、とてもうれしい気持ちになった。
そう、人間は長く生きていると、いろんな経験をすると、そりゃ体も痛むが、
心も傷ついたり、弱くなったり、自分らしくなくなったりもする。
そんななか、会話をすることで、心がきれいになるなら、それ以上の幸せはない。
そうか
心の洗濯屋。
こんな仕事があってもいい。
世間ではカウンセラーとか、そういったお仕事が近いのかもしれないが、
洗濯屋というこの響きが良い。
それも、全自動ではなく、ごしごしと洗濯板で洗うような感じがいい。
柔軟剤や漂白剤は要らない。まずは、じゃぶじゃぶと素の自分に戻れたら
いい。
この仕事は、需要がありそうだ・・。