長崎の鐘を心で鳴らして

長崎の原爆記念の日。
今年はこの時期に訪問が叶わなかったが、自宅で静かに
式典の様子を見守る。
あの長崎の鐘が、悲しく美しく猛暑の空に響く。
広島に続いたこの悲劇。72年経とうが、事実は変わらない。

あの、原爆記念館に足を運んだ数年前、声にならない叫びが
体内を巡った・・その記憶が今も消えない。
長崎の人は、歴史上、さまざまな他の地域の人々が
経験しえなかったような重い歴史を重ねてきた。
殉教、開港、繁栄と苦闘は、皮肉にもこの町の歴史の両輪である。
そして、72年前のこの原爆・・。
なんで、こんな美しく、穏やかな街に・・・と戦争を知らぬわが身では
あるが、ぶつけようのない怒りを感じる。

実際にそこに生まれ、住み、ご自身が、家族が被ばくされた人たちの
ことを思うと、外野は何もいうべきではない。
静かに静かにただ、祈るのみである。

広島出身の知人がこの「原爆記念日」という日を「わが家のお盆」
と伝えてくれたが、本当に悲しい現実だ。
戦争。
素晴らしいけれど、愚かで残虐な人間。
今も変わらないところが情けない。

台風よりも、地震よりも、この人災は、永遠にNO MOREなのだ。
被ばくされたおばあさま、その家族・・わずかな知り合いのことを
思い出し、
静かに1日を過ごす。
セミの鳴き声が、いろんな雑音を消し去ってくれるように
感じる。
被爆者の高齢化とともに、記憶が消えないよう若い世代の人達が
立ち上がっている長崎を、広島を応援しなければ。

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