国会などをたまに見ると、日本語について考えさせられる。
同じ日本語を話していても、そこでかみ合わない空気を
感じることがある。
もっとも、国会などは会議でも議論の場でもなく、形式的な質問と
答弁であり、もともと出来上がった原稿によって基本成り立つので、
アドリブから生まれる感動などは、あまりない。
みられている、聞かれている、記録にとられていることを前提とした
不思議な「民主」的な場である。
(これは、国会に限らず、そのほかの行政での会議も同様のようだ)
その国会で、「丁寧」に行うと、約束された人の答弁。
その丁寧の実態を見ていて、ああ、日本語にはいろんな意味があるのだと
改めて日本語の深さ?を学ぶ。
丁寧に中身を話す、隠すことなく、すべてを説明するという意味ではなく
低姿勢にその答弁に丁寧に望む・・という意味だったようで、
見た目は確かに丁寧っぽい?が、中身ははぐらかしのままであった・・と
感じたのは私だけではないだろう。
いずれにせよ、ひとつの言葉でも意味がいろいろ。使いようにいかようにもなる。
期待と実態が違っても
「いや、私は丁寧に説明しました~」
ということになるだろう。
いずれにせよ、相手が求めていることに、
「丁寧に」応えようとしているか、
応えたかが大切だ。
人の言葉みて、わが言葉を見直そう。
相手にとって、どう響いているか?
この答弁の人は、AIDMAとか、AISASとか
ご存じか?
と気になる。