実は、ここんところ、左手の腱鞘炎が思った以上につらい。
腕時計にあたるだけでも、激痛を感じる。
右手首が痛いときは、右手の方が、利き手なので不便だと思っていた。
確かに右手が痛いときは、字を書く、髪を乾かすなど、細かい動きには
激痛が走り、困った1年。なんとか耐えてきた。
左手がその分、がんばってくれたせいか、ついに左手に痛みが移った。
悲鳴を上げたのだと思う。
そして、左手の大切さを改めて知ることになる。
箸をもつ手は右であるが、茶碗を、カップをもつのは左手で、
いつも
右手を支えるのが左手で、結局はどちらも主役、どちらもなくてはならない
存在なのだ・・。両方痛くなって、それぞれの手の存在について
いかに人間の行動に手足が大切かを痛感する。
世の中、存在するものには、すべてそれぞれ大切な役割がある。
もちろんどちらかが不便になったら、どちらかがあれば何とかできる。
そういった相互助け合いをしながら、全体バランスをとりながら
人間はある力を使って生きていくのだろう。
痛みというのは黄信号を示す五感のひとつ。
気を付けろ。少し見直せ、安め、止まれ。
このキーボードを打ちながら、結局は両手で打っていた
ことを痛みとともに感じる。左はいつも右を支えていた。
気づかないうちに、左がとっても活躍してくれていたのだ。
右と左は一体。大切にしよう。一応、ピアニストでもあることだし、、。