ザビエルが岐阜にやってきた!


展示会場の撮影ができないため、チラシの一部を拝借する。
念願のザビエルの来岐!
フランシスコ・ザビエル直筆の書簡原本が、信長と交流のあったルイス・フロイスの書簡本とともに、
岐阜の歴史博物館で期間限定で展示されている。
実は半年以上前から、このことを知り、実際訪ねたことがないわがふるさとにて、
まさかザビエルの手紙が展示されるとは半信半疑であったが、本当にやってきたことをこの目で確かめることができた。
正直、ルイスフロイスの手紙には、GUIFU(GIFUのポルトガル読み)やNOBUNAGAの文字が出てくるが、ザビエルの文字はキレイな文字であることはわかるが、小さい筆記体でよく判読できない。スペイン語で書かれているようではあるが。
でも、これはまさに原本、ザビエルが実際鹿児島にたどり着いたときに書き、アジア布教の拠点である、ゴアの宣教師たちに日本での布教の重要性を伝えたメッセージ。ここから、ザビエルは平戸をはじめ日本各地を訪れることになるという重要な書簡だ。印刷もなかった当時は、書簡が大変重要であり、要所要所で複写されながら、広まったらしい。
今回はこれら書簡を所蔵する、ポルトガル国立図書館から担当学芸員もこの大切な資料とともに来岐した。
作品の解説を行ったクリスティーナさんに、リスボンで誕生した「フランチェスコの夢」のCDを手渡すことができた。
自分がリスボンへ行きザビエルの曲を作り、今度はリスボンから岐阜へザビエルやフロイスが・・・。。
岐阜を命名した信長の存在のおかげで、私自身不思議な南蛮の縁を改めて実感することができた。
静かな感動の対面。ザビエルは本当に生きていたのだ・・当たり前のことであるが、心新たに、
しみじみ実感したひとときであった。

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