勝ち写真、負け写真。

コミュニケーションクリエイター的にみた選挙のこと。個人的には海江田さんが嫌いではない。何年も前に、神楽坂の食品スーパーの前で、自分で拡声器をもって話しておられ、ずいぶん腰の低い人だなと好印象をもってはいた。が、今回はあのポスターを見る限り、勝てない気がしていた。自信がなさそうというか、憂いに満ちているというか、何かに対しての力なき怒りのような、とにかくマイナスのオーラが漂っていた。
この意味のない、税金を使った政治家の就活運動のような選挙に行くものかと思っていたけれど、行かないのもの首謀者たちの目論見どおりになるのではと、気が進まないなか、無理して投票に行き・・・。
結果は、彼は落選してしまった。一番今回の選挙が恨めしいのは、この方ではないだろうかと同情もするが、でもあの写真じゃ勝てない。選挙は見た目と言葉。印象、元気。が必須だと思う。ある種のでまかせでも、湧き出るパワーがないといけない。でも、多分自分のことまで手が回らなかったのかもしれない。せめて、側近の人が「こういう写真にした方がいいですよ!」と言ってあげていたら、もっと違っていたかもしれない。一方、思い通りになったトップの方の写真。どうして国民の方を見ていないで、横を向いた写真なんだろう。といっても、そこの選挙区に掲示されているポスターは拝見していないけれど、最近のこの方の写真は、横向きのものが多い。写真を見る人と目線を合わす。これはコミュニケーションの基本だと思うのだけれど。いったい、どこを向いているんですか?と
言いたくなる。
写真ひとつで印象が変わる。ずいぶん難しい勝負の世界だ。でも、もうこんな無駄なことは断じてやめてほしい。何のためのバンザイ?日本の国を真剣に思っているのは・・・。
消去法で進んでいくこの社会に危機感をもちつつ・・・。

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