死は生の対極にある?延長にある?それとも?

人間の命が軽んじられているような気がする。恐ろしい事件、事故が立て続けに起きており、なぜそんなことが?と耳を疑い、目を覆いたくなるようなことが国内外でおきている。
宗教上の闘争で、罪なき一般の人々が殺される、一度人を殺してみたかったという動機で友達を殺す、最近は世間を騒がせた科学界では有名らしい学者が自殺・・・。生きたいのにわけもなく殺されてしまう、興味本位に死のサンプルにさせられてしまう、死んで責任をとる??よくわからないが、いずれにしても、死とは一体何なのかと考えさせられる。
最近では、テレビ番組でもお葬式の謎に迫る?といった軽いタッチの番組が企画されていたようであるし、一方で生前葬儀や終活という言葉も日常的になって・・・。一般社会でも死の存在、距離?が一見近くなっているようであるが、いったいこれは何なんだろう。
死は生の対極なのか?延長なのか?そしてやたら延命したがる今日の医療業界、科学界も最終的にはどうしたいのだろう?
私には、現代社会における死の在り方がよくわからなくなってきている。
小さな存在である人間、何びとも生まれた瞬間から見えない最期の日まで、がんばっていきるしかない、人間とはそういう不安定な存在である。人間の仕事は生きることだ。よく生きることだ。そう思う。
だから、そんなにやすやすと死を口にしては・・・。
命果てればすべて終わる。その時に向かって生き続ける、できれば生きがいのある時間を・・。
そんなことが平等にできる社会が本来の姿ではないかなと思う。
「死」という言葉があまりに安直にマスコミはじめ各メディアで露出することが心配。
この長崎の忘れてはいけない記念日に、罪のない人々が瞬間にすべてを無くした・・・この日に改めて
普通に生きていられることに感謝し、今という瞬間をいつくしみたいと心から思った。
生きぬいて死ぬならば本望。それ以外は、あまりに悲しい。

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