最近、この23年間通った道を歩きながら、いろんなことを
思い出す。
とくに何気なく、毎日乗ってきた地下鉄と利用駅。
一番の馴染みは東西線の神楽坂駅。
最近は、これまで何とも感じなかったことにも、懐かしみや
愛おしみや・・・いろいろ思い、感情がじんわりとこみ上げる。
駅の看板、電車の音、ラッシュアワーの人の波・・。
最寄りのこの駅は、都内の、国内の、世界のどこに行くにも
大変便利な駅だと思ってきた。
駅から近い住まいを選び、どんな出張でもタクシーを
できる限り使わなくて良いようにしてきた。
確かに便利な駅。
でも、でも、この駅にはエスカレータもエレベータも
ついておらず、あるのは急な階段のみ。
やっと2~3年前に、車いす専用の補助具は設置されたが
わが出張の荷物持ちを軽減してくれるものではなく、
混雑する朝の出勤時も、疲れ果てて戻ってくる出張帰りの
シンデレラ状態のときも、いつも荷物を
「えいっ」といって、気合いを入れ、持ち上げ運んだ。
この23年間、この階段を何万回、利用しただろう。
その間、
「もってあげましょうか」
と手を差し伸べてくれた紳士が2名。うち1名は海外の方。
みんな、それどころじゃない、急な階段だ。
あるときは、スリに襲われ、泣いていた人に出くわし
その人にハンカチとお金を貸し、あとでお礼が
届いたこともあった・・・
などなど、駅ひとつとっても、なんだか思い出が詰まって
いる。
同じに駅に降り、同じ駅で乗り・・・すれ違った人の数は
いかほどだったか・・。
この階段のステップを踏む人、それぞれにも違う人生があるのだ
と思うと、感慨深くもなる。
この階段を重い荷物をもって移動するという試練・
修行の日々もそろそろカウントダウン。
と思うと、階段一段一段にも、なぜか思いがこもってしまうものだ。
よく転ばずに怪我をしないでこられたな。
よくあんなに思いものを連日運んだな。
さすがに腱鞘炎と腰痛は神楽坂時間と比例する・・。
始発の新幹線にも間に合うように、最終の新幹線の後にも
動いている地下鉄。
おかげさまで、心置きなく移動した。
飛行機だけでなく、この駅から始まった移動の
距離はミリオンマイルかもしれない。
東京はグレイト、そして東京は腰痛のもと、
でも、東京は、今やわが第二のふるさと。