自分がメディアであるという自覚。

ネット社会の到来も久しいが、
情報に向かう「姿勢」をきちんと教育する、される機会がなかった
ことに今更ながらではあるが、憂いを感じる今日この頃。
最新の機器を扱い、情報操作を知り、ハイテクに慣れることももちろん
大切であるが、
なぜ、それがあるのか、それで何ができるのか、それがもたらすいい面、悪い面。
それをどう向き合うべきか・・。という本当の意味での、情報教育は
学校に限らず、社会においてできているだろうか?
私が知る限り、それは無いか、少なすぎるような気がする。

どんな道具を前にしても、
人間はなぜ存在するのか、なぜ生きるのか、ではどんな風に生きるのか、
なぜ人とかかわるのか、ではよりよくかかわるにはどうするのか?
では、そのためにどの道具をどう使うのか・・・など
きちんと考えられるようになってから、扱うのが良いはずだ。
リテラシーとか言葉だけが先行しているような傾向であるが、

まずは、それが何のためにあるのか。をよく考え、
それに向かうのが良いと思う。

最近、スマホ依存で脳に異常をきたす子供たちが増えていると
いう報道も聞く。
脳がやられては、人間として生きていけないではないか。

依存せず、強い自分で生きられることがまず優先で、
それに道具をどう加えるかだ。

そして、マスコミは今や「マスゴミ」であり、
マスメディアの存在意義も考えさせられる時代。
むしろ、生活者ひとりひとりが立派?なメディアになって
しまったことを自覚せざるを得ない時代。

そのことをきちんと教育していく必要がある。
子供に限らず、大人にも。

コミュニケーションに関わる者として自分ができることは?
ということを改めて考え、実践していかねばと思う。
もちろん 否定や批判ありきではなく、
希望ある社会のために前向きな作戦を考えてみたい。

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