彼女が立っていたステージ

ビルへニア・ルーへ。前何度かこのブログにも書いた、アルゼンチンを代表する女優、歌手。その昔、渋谷の文化村で観たアルゼンチンタンゴのドキュメンタリー映画を観て、その歌唱力に感動し、DVDも何度も観ては涙を流し、そして遂には後に自分のCDジャケットに登場する、建物は白いけれど赤い情熱のタンゲリーア「アルマセン」のステージで歌っているのを偶然知り、全身が震えた衝撃的な出会い。彼女の歌を聴き、自分ももっとがんばろうと本気で思った。背中を教えてくれたきっかけの存在のひとりだ。高齢にも関わらず、美しく化粧をし、力強い声で十八番ともいえる「ブエノスアイレスの歌」を聴かせてくれた。長くしっかり生きてこなければ出ない声、歌えない歌であった。歌手とは年輪のようなもので若さでは出せない魅力が絶対にあるということを教えてもらった。その後、何度かこの店を尋ねても彼女に会えない年が続いた。「もう高齢だから引退しました」とは、前回、昨年のこと。あれから1年経つ。今回の訪問。勇気をもってアルマセンのスタッフに聞く。もちろん奇跡が起こって、「あれから元気に復帰して、今日来ていますよ」だったらいいな・・・と。しかし、返事は「彼女は今年、亡くなりました」そう言われるまで、あえて調べないでいたというのもある、あいまいのままにしておきたかった。希望を勝手にもっていたかったのだ。彼女が立っていたステージを目の前にこみあげてきた。世代交代した若い歌手が彼女のその十八番を歌っていた。若い高い声、美しいけれど、ルーケの太くてしゃがれつつも、凛とした歌とは別物。ひとり彼女の歌う光を思い出し、涙した。
ビルへニア・ルーケ86歳、2014年6月3日没。お手本にしたい表現者に感謝と哀悼の意を込めて

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