子供時代のうわさ話から思う、親心。

自分は親になったことがないため、母親という存在は死ぬまで
子供の存在在りきで生きるという実感がもてない。
とくに田舎で、専業主婦で、子育てだけを一生懸命してきた
親の世代の「いつまでたってもPTA」感覚は理解できない。
幼稚園や小学校を卒業して半世紀経っても、同級生の話になる。
「〇〇ちゃん、おまえと同級生やったやろ、あの子のお母さんが
先日亡くなったよ」
こんな話題はここ何年、とても多い。
そのたびに、ああ、自分の同世代の親たちも・・・そんな年になって
きたかと、悲しい気持ちになると同時に覚悟のようなものも生まれる
のであるが、親はそのあと、その同級生自身の子供時代の話をする。
「あの子は、よく発表すると失敗して泣いとった。そんなんでも
今は立派な大人や、葬式でも立派だった」
と、こんな話題になる。
「そりゃ、みんな大人になるわ。いつまでも泣いているわけないやん。
人の子供の頃の話はもういいって、人のことなんかどうでもいいやん。
もうあれから、何十年経っている?」
と母の同級生話を断ち切ろうとする。
すると、母は意外な発言をする。
「おまえのことも、いわれていたよ。」
「は?」
「昌子ちゃんは、テストの点数が悪いと、破っていたって聞いた。
家が怖かったので、そうやったんかなと、適当に言っておいたけど」
「はああ??何言っているの?いいかげんにして。誰がそんなことする?
もう、あほらしい。そんなことした覚えもないし、いわれる覚えもない。」
思わず、私は母親に真剣に怒ってしまった。
「おまえに言うと怒るで、ずっとだまっとった。余計なことを言って
ごめん・・・」
本人には覚えのない、根も葉もないことを、何十年経ってか知らないが
母は他人にそんな噂話をされ、どんな思いでいたのだろう。
彼女なりに傷ついていたかもしれない。
そして、私も母のその噂話の報告に、ちょっと不快感をもった。
「人のことなんかどうでもいいし、あんたは娘を信じていればそんな
言葉も出ないよね」
ちょっと攻めてしまった。
ま、親子だから、すぐ仲直りするし、何事もなく、その日も別れた。
そしてあとで
「さっきは余計なこと、ごめん」
とメールが来た。
「人のことはどうでもいい。娘を信じましょう。」
と返事をした。
広い視野で、小さな世間にとらわれず・・・と思ったが、親はその
世界でのみ生きてきたのだ。
田舎での人生とは、そんなものかもしれない。

帰り際、母はきっとその心ない噂話をきいて、当時ショックに思ったのかも
しれないな。でも、娘に言うと怒るだろうな・・と
長年葛藤していたのかもしれない・・と思うと、母が可愛そうにも
なってきた。

一生、母親だから、彼女なりの苦悩と喜びと・・。
これは、私は理解できないが、ただ、親不孝な噂が流れるような
そんな悪い娘であったなら、申し訳ない。

テストを破って捨てた記憶はまったくないが、
それは別として、不良だったし、テストどころかピアノを捨てて
家を出たし・・・。

と、昔の噂話から、悲しい親心を感じたある一日。

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