情報サービス業としての学び舎。

近所の大学で開催中の社会人講座に通っている。
これが実は講義の内容だけでなく、それ以外でも興味深く、
少子化に向かう教育産業の生き残り、サービス業化などに
ついて考えさせられている。
過去にもいろいろ受講したし、昨年は別のところで
作家業についてのお勉強にも出かけたが、行ってみないと
わからない面白さが満載だ。

今はジャーナリズムを考える講座と、外国語の入門講座
を受講しているが、前者にくる人たちは、いずれも
報道についての関心、問題意識を持っている人であるはず
なので、真面目というか、硬いというか・・。
その講義を受講することが目的で、教室に入ってきても
受講生同士、挨拶もしないのがふつう。
とにかく黙々と聞き、メモをとり、質問をする。
私もこの講義が大好きで、つい講師から名刺をいただき
後でメールで感想を送ったり、やりとりさせていただいて
いるが、とにかく、受講生同士の交流はなく、各自が
自分の興味テーマに向かっている感じ。
一方、外国語の講座は、もちろん言葉の勉強であるので
学び方自体も、コミュニケーションなしには成り立た
ないため、まるでサロンのような教室になる。
しかも、言葉を学びたいマダムも多く、前者の講義
とは違う空気である。
授業に出かけてくること自体が、大きなイベントのようで
皆さん楽しみに来られている。
実は私はこの講義は少々つらい。
ついていくのが必死、そして復習もやらねばと思うが
そのまま時間が経って・・・という状態でいつも
教室に駆け込む。
和やかなムードのなかに、その時間だけいかに集中するかと
血走った様相でいるであろう自分と、もう一人、研究者らしき
おじさま。
おじさまがいてくれて、安堵する。

いくつになっても学びたいと思うことがあること自体、素晴らしい。
いろんな客層を集められるだけのコンテンツ・サービスを
もつ大学は、少子化になっても経営していくことができるだろう。
授業ごとに違う客層を見ながら、そして自分もその中にいることで
学べるサービス。
これは永遠であることを再認識する。

ということで、いろんなところへ行き、いろんな客層を見て
その人のバックグラウンドを想像する。

観察の場としても、大学はとても面白い空間だ。

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