メディアは量から質へ。

東京の将来が心配と思い始めたのは、スマホ・SNSの普及も関係している。
電車の中で、歩きながらも、ひどい場合は運転しながらでも?スマホを見続けている人が
いかに多いかということに、嘆かわしいと思った。
みんな、それぞれが自分のスマホに向かい、それぞれが自分がほしい
メディアと過ごしている。
癖になっているのだ。それなしでは生きられない。
何かを知りたいときも、別に知りたくないときも、とにかく情報漬けだ。
これは東京だけではない、東京は人口が多いため、その現象が異様に見えるが
世界中がその傾向だ。
子供たちが、親のスマホを使う、依存することも社会問題になっていると
欧米のニュースも報じているが、メディアとの関わりを、放っておけば
依存状態になり、健康をも害するという状況。

メディアとは、本来は、発信者と受信者がいて、有益な情報を得るための
媒体であった。
読むとためになるとか、参考になるとか、感動するとか・・・。
今は、誰もが発信可能であり、誰もがメディアになってしまう時代であるから
恐ろしい。
メディアの意味や影響を考えない人たちが、単に自分のことを発信したい人たちが
多く、興味本位に発信、それが拡散する世の中。
メディアの数は増加する一方。しかし、大切なのは、やはり質である。
良質な情報を発信するプロの存在こそが必要であり、その賢明な活用法を教える
大人の存在が必要であり、そして賢い受信者の育成が急務である。

利便性は行き過ぎると、健康を害し、人生が壊れていく。

どこまでも、量ではなく質を・・。
どんどんそぎ落としていくことが、良きメディアとの付き合い方かもしれない。

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