外に出る。外を見る。外から見る。日本人として生まれ、育ち、こうして生きていられることに心から感謝の念が生まれてくる。
このたびのノーベル平和賞を受賞した方々の活動の背景には、平和ではない、平和とはかけ離れた厳しい現実の世界がある。その現実から逃げずに命をかけて戦っているから本当に偉いし、素晴らしい。でもその大変さを実感することはおそらく日本人の私たちにはできないのではないか。人間の尊厳ということについて、私たち日本人の感覚とは違う人が世の中には多数存在する。先日あるドキュメンタリー番組で、パキスタンには夫やその家族から硫酸やガソリンを顔にかけられ、見るも無残な姿に変わり果て嘆くしかない女性たちの存在を知った。考えられない惨いことを妻にする男がいる、意味不明である。抵抗するにも、離婚もままならない、泣き寝入りし、人生を諦め生きている人たちが多数いる・・・それって、どんな人生?どんな社会?と疑問と同時に怒りがこみあげる。
どんな美人でも硫酸やガソリンをぶっかけられたら、その瞬間に人生が終わる。美人に生まれなくてもだれにも危害を与えられないでこれまで来てよかったと真剣に思ってしまった。そんなことを平気で行う人間がこの世に存在するとは・・・。その報道を観たときはさすがに恐怖と驚きでショックで眠れなかった。
日本の一部の人たちの間では女性が輝く社会を!などと言っているけれど、実はすでに十分幸せな世の中ではないか?環境は整っているのではないか?自助努力でなんとでもなる
なんとかできる状況ではないのではないか?と私にはそう思うが、これはそれぞれの人生だから他の人と違う見え方なのかもしれない。
しかし、私はこう思う。
世の中には男と女しかいないのだから、よくコミュニケーションし共存共栄していけばいい。世界を改めて見てみると、悲惨で残酷で・・・理解できない現実があまた存在する。日本という国は、日本人という国民は大変立派である。と認めたくなる。大きくとらえる、おおきく理解する。そしてもっとよくしようと、自分ができることをまず行う。
人に甘えることなく、依存することなく、人のせいにすることなく、このありがたい環境のなかで自分ができることをもっとやるべきだ。
日本人でよかった。今回も改めてそう思う数日であった。
「日本人でよかった。」は、外に出てよくわかる
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