来年9月が開設20周年・・・のグラン・ルー。La Grande Roue。
観覧車のフランス語 ラ・グラン ルーを日本語読みにした。
心の観覧車を創ろうと発想した場所は、まさにパリ。18世紀後半に絶対王政で
国民たちを翻弄してきた君主たちが処刑された、市民たちが自由を勝ち取った
コンコルド広場。
写真の観覧車はまさにそこにあった移動式観覧車。
この写真自体は2年ほど前、1泊だけ立ち寄った際に久しぶりに撮った
グラン・ルー。シャンゼリゼ通りから撮った。
雨に光って。観覧車がそのまま地面に写り込んでいるその姿がとても
気に入っており、最近改めてスマホの壁紙に起用して、毎日グラン・ルーを
見直している。
19年前、最初にこの観覧車に出会ったのは、実はこの広場の
目の前に広がる、ルーブル宮の庭園に建っていた時であるが、
移動式であるから、場所が変わっても不思議ではない。
とにかく、パリは私の自立を促した、精神性の原点である。
30代前半に、移動式の大観覧車の存在に魅了され、
シャンゼリゼ通りを歩きながら、そこからわがライフコンセプトを得た。
その後、そこを再び歩きながら、テーマ曲「人生は観覧車のように」も
生まれた。
音楽を一度捨てた身なのに、
やっぱりピアノを弾いて歌おうと思ったのも、ピアフやモンタン、イヴェッットジローがいたから。
そして、子供の頃から、私に美的感覚や想像力をもたせてくれたのは、アランドロン!
小学生のころ、日曜映画劇場で初めてみた、若きフランス俳優の主演映画は
「黒いチューリップ」。
こんな美男が世の中にいるのか?会いたい~と思ったぐらい。
あれから、50年以上、アラン・ドロンは私の心の中での憧れの人であった。
ダーバンのコマーシャルは、今ふりかえっても衝撃的であり、夢中になった人も多かっただろう。
80歳を越えたアラン・ドロンもいよいよ引退ということで
寂しい限りであるが、ずっと心の支えであったことは間違いない。
若き日に、京都に住んだのも、日本のパリと思える、そんな憧れもあったから。
などなど、前後したが、わが人生の前半時代を思い起こせば、
私の独立のルーツはフランスだ。
だから、レオナールフジタ他、フランスに渡った芸術家のことは
心から尊敬し、共感しているし、どこか郷愁と羨望を感じる。
そのパリが、フランスがここのところ、大変心配だ。
今しばらく、ちょっと足を運べていない。
が、このたび、若きリーダーが選ばれた。
やっぱり、フランスだ。
あるべき姿を目指して、進んでいく。
精神性豊かな、自由の国の代表選手として、
よきフランスを取り戻してほしい。
ドイツとフランスは民族的には異なるが、哲学的であるという
点では共通しており、
あるべき姿・・をきちんと考え、実行できる人たちだと
信じている。
私のラジオ番組のテーマ曲は、ピアフの「愛の賛歌」
いろんな意味で、グラン・ルーはフランス生まれ。
これからも、誇りをもって回り続けよう。
href=”https://www.grnr.mahsa.jp/blg/wp-content/uploads/2017/05/IMG_0369.jpg”>