歴史のロマンよ永遠に。


原城という存在は歴史好きの方にはおなじみかもしれないが、私はつい最近まで島原城とごっちゃになっていた。
これは17世紀前半におこった、島原の乱の舞台となったところ。悪政への抵抗が原因だったらしいが、その理由を隠す意味か、結果的に
キリスト教徒が多く結集したため、キリスト教徒の反乱ともいわれた。
歴史の授業でも名前だけは覚えた、この一揆、かの天草四郎の活躍でも知られる。
この反乱は幕府側が勝ち、多くの人々が亡くなり、一揆軍を助けようとしたポルトガル船が追放され、
鎖国の一因ともなったという日本の歴史にとっても大きな事件が、まさに約400年前にここで起きたとは・・。
今はとにかく静か、来客もほとんどない、この城跡。ところどころに古びた墓碑などが点在する。

そのなかで、一揆軍の象徴か大きな十字架、天草四郎の像と墓碑もみつけることができた。(ただし、四郎は
ここでは亡くなってはいないが・・)
そして、小さな石像をみつけた。宣教師と天草四郎と農民であろうか?
海を向いて、ポルトガル船の助けを待っているのであろうか?いろんな想像が掻き立てられる。
広大な城跡には、今はつつじが咲き、農家が畑仕事をして・・・。時代の移ろいと、ここに確かに城があったのだという
感動を静かに感じる。
天草四郎については謎も多く、この籠城の日付も文献によって違う。城跡で今回見た資料では12月3日から立て籠ったとも
記載されているが、文献により違う記録・・。まあ、良い。

情報化時代でもない。情報がすべて正しく記録されていたわけでもない。
現代社会が異常なのかもしれない。
だんだん、過去の詳細がわからなくなっていくところにも、ロマンを感じる。
いろんなことが風化していくなか、それでもその時代、こんな人がこんな風にがんばっていたんだ。
ということを知るだけでも、十分に刺激になるし、
悲劇こそ、よりロマンを感じるのは何だろう・・。
ザビエル、フロイスそして信長、今度は天草四郎か・・。
どの人物も謎と悲哀と魅力が共存している。

再び来ることができるかどうか、この原城。
しっかりこの絵を残しておこうと思った西の果て。
何千人の叫び声が遠くで聞こえてきそうだ。

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