16世紀半ば、クリスチャン大名で知られる大村純忠が長崎に横瀬港を開いた後、兄の有馬定信は、現在の南島原の口之津を開港。
そして、1567年ポルトガル船がここに初入港し、南蛮貿易がはじまり、ザビエル来日後の宣教活動も本格的に始まったとされている。
その口之津という港。「くちのつ」という読み方にはなかなか慣れない。
遠藤周作の著作にも時折登場しており、どんなところなのかとずっと思いを寄せていた。
そして、明治時代には三井三池炭鉱の輸出中継地点としても繁栄し、人手不足から働き手として与論島から多くの移民が訪れたり、一方、石炭の輸出船にこっそり乗せられ、アジア諸国へ売られていった女性たち~からゆきさん~もここから出て行ったとの事実を今回初めて知る。普段接することのない日本史の片鱗に出会うこととなったのは、当地にある資料館。手作りのこの展示物はこの口之津の歴史を静かに語っており、その見ごたえに驚かされる。
ここで日本を代表する繁栄の地となった時代が2回もあったのだ・・。今、この港町の静かさからは想像も難しい。
今は静かな港。きっともともと静かな場所だったのだろう。
深い海で風も少ないため、船の出入りがしやすく、ポルトガルからの大型の船も行き来しやすい良港。
日本の歴史を変えたポルトガルからの客、宣教師ルイスフロイスやバチカンに少年使節団を送ったヴァリニャーノたちも、この港に降り立ったという点が興味深い。
初めて降り立った日本。そしてフロイスは後年、長崎市で生涯を閉じることになるが、この口之津に来たとき、どんな思いだっただろう。と450年以上前のこの港の
様子を勝手に想像してみる。
わがふるさと岐阜にも足を運んだルイスの宣教の旅が、ここから始まったのだ。
思いを寄せている場所に、ときには無理して出かけることでロマンを感じ、新たな想像を膨らませる時間が自分にとっての宝物だ。