親との毎朝メールはもう2年続いている。母はがんばって返事を返している。
どうやら、朝メールを見るためにトイレにまで携帯を持って入っていると
聞いて、笑ってしまう。
昨日あったこと、うれしかったこと、こんなことがあった、こんなことがあったと
何かしら前日のことを書いてあり、「また冥途の土産が増えました」
と最後に結んである。
もうメールでのやりとりだけでも100以上はその土産話を見聞きしているような
気がする。
私に関わることでは、コンサートをやったり、東京見物をしたり、そんなことも
その土産であるが、そんな非日常のことだけでなく、ちょっとした友達とのランチや
季節の行事もすべて、その「冥途のみやげ」にカウントされる。
彼女は、胃がんになってから、そのことをより意識するようになったと思う。
いつか死ぬ、そのうち死ぬという覚悟をもってから、より生きようという力が
湧いてきて、おかげさまで元気になって、以前と変わらず活動的に生きている。
「あんた、どんだけ、冥途に土産もっていくの。」
笑いながら、母に突っ込む。
それができる今がありがたい。
この土産は、モノではない、思い出。その大切さが少しづつわかってきたような
気がする。
もちろん、母はモノのお土産を旅先で買うのも、大好きだ。
これは、この世のお土産だ。
冥途の土産をたくさん。
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