最近、父との時間に関する話題が続くが、今回も。
(やはり自分にとっては貴重で珍しい経験だったせいかもしれない)
泊まった宿で荷物を預けた。
1時間ほどしたら戻ってくるので、とお願いして散歩に出かけた。
そこは島。晴天で春うらら、島歩きには最適だ。
島半周の散歩を終えたら、荷物を宿で受け取って、
高速船に乗って移動という計画。
散歩を堪能して、宿に戻ったら、預けたはずの荷物がない。
ただ、フロントに預けただけなのにどうしてないのか?
船に乗らなければならないのに・・・。
ホテルスタッフいわく、間違えて、船乗り場へ送るお客さんの
荷物と間違えて車に積んで、違う港へ向かってしまった・・とのこと。
「へ、そんな。次の船に乗りたいのに・・」
「申し訳ないです。
今、連絡しましたので、戻ってきます。ちょっとお待ちください」
といわれ、船の時間が迫ってくるので、ちょっと焦る。
ホテルのミスにも少し立腹もしていた。
(自分自身がこの宿と島に慣れていないせいもある)
すると、父が何がおきた?という感じで、説明すると
「そうか。しょうがないな。」とたばこを吸い始める。
そう、父にしてみれば、毎日が日曜日みたいなもので、
時間に追われる生活をしていない。
私にしてみると、1時間に1本しかない船。
父にしてみると、1時間待てば次の船が来る。
という感じだ。
「まあ、しょうがないわ。完璧な人間なんかおらんで」
と、たばこをくゆらせる父から出た言葉に、正直驚いた。
そして、自分の普段のオンタイム暮らしが当たり前で
完璧を求める暮らし、さらにはなんでもビジネス的に
見てしまう自分が恥ずかしくなった。
そんなに急いでどこへ行くの。
という感じかもしれない。
台風や波が高い日は船が出ないこともある。
船は出ればラッキー。そんな島だ。
そこで、かちかちせかせか・・・という自分が恥ずかしくなる。
荷物が無事戻り、船にも間に合った。
荷物のこの件で、完璧な人間でない自分を改めて知った。
寛容さ。
都会にいると。忘れそうになる。
いや、すでに忘れているのかもしれない。
父と島へ行き、いい勉強になった。
人に、自分に寛容であれ。これからの教訓のひとつだ。