それにしても、「愚痴」という言葉は、音も美しくないし、見た目も決してよろしくない。
愚かでしかもヤマイダレの「知る」。決して知的ではない。
あまり、お世話になりたくない、その「愚痴」という文字、言葉。
ではあるが、
日々、生きているとその愚痴のひとつやふたつ、こぼしたくなることもあるだろう。
仕事の帰りに飲みに行って、その愚痴を言い合う、聞き合うことでストレス解消を
している人も多いだろう。
よくわかる。愚痴もいいたくなる、この息苦しい世の中だ。
でも、愚痴を言わない方がスマートだ。
なぜかというと、もし言っている内容がごもっともであっても、
愚痴っているというその姿勢、行動がスマートではない感じがするから。
愚痴るぐらいなら、直接言えばいい。と思う。
でも、いちいち言えるはずがない。相手に直接言うことで、その反応で、
また愚痴を言いたくなることもありえる。
日頃、愚痴を聞くことが、なぜか?おかげさまで?多い。
そして聞いた後、「愚痴ってすみません」とよく謝られる。
そう、愚痴を聞かされた側には、何の得もない。
話している人だけのストレス解消ということが多い。
見方によっては、愚痴を聞かされることは、第三者には迷惑である。
もちろん、愚痴を聞き、言葉を交わすことで解決になることもあるが、
愚痴を聞いている人にとっては、決して気持ちよくないはずだ。
だから、愚痴は人に聞いてもらうのではなく、できる限り自分で
解決していきたい。
そこで浮かんだのが、紙を食べる山羊の存在。
そのように、愚痴を食べる山羊がいたらと思う。
その山羊を心の中に飼う。
何か嫌なことがあったら、「もぐもぐもぐもぐ」と心の山羊に
食べてもらう。
すると、すっきり。
そんな解決法をみつけたら、それだけですっきりしてきた。
それにしても、愚痴ということばは、美しくない。
関わりたくないし、使いたくもない。
美しい言葉でコミュニケーションしたい。