昨年のクリスマスに台北で会ったのが最後、そしてこの春に亡くなった台湾人の友人のご主人が、来日した。日本通であった彼女との日本での思い出を再訪するということと、彼女の日本の友人に会うためにやってきたとのこと。なんと約1か月の滞在の予定だという。先日の東京ライブで初演奏した彼女を思って創った曲「ANNEソロジー」の報告をそのご主人にしたいと思っていた矢先の来日で、彼女が天から旦那さんを呼び寄せてくれたのではないかと本気で思うほどのタイミング。旦那に会うのは数年ぶりかもしれない。上海で、香港で会った記憶があるが、そのときはいつも夫婦そろっていた。今回は彼と通訳を担当する友人が目の前に現れた。
亡くなって半年以上経過し、でも最愛の人を亡くす悲しみはそんなに簡単に癒されるわけはないので・・・ととても心配していたけれど、彼はいつもどおり元気で、陽気で、上機嫌で、ランチタイムなのに焼酎を熱燗にして和食を楽しんでいた。3時間ほど、世間話をして馬鹿笑いして、私が創った曲も歌詞を読み、歌い。。漢字混じりの歌詞を見て、彼は「覚えています」という曲の出だしにすぐ反応した。実は、彼女は癌になってから、癌から逃げるのではなく、向き合って生きていく。西洋医学的な治療は一切受けず、自然に生きて、死にたい。という意思を持ち、その生き方をまっとうするために仏教を学び、最後は改名をしていた。その名が「心覚」(しんかく)。そう、彼女の名前を無意識に、私は歌詞の中に入れていた。
そして旦那さんは今回の彼女の最期について語った。人は生まれて、生きて、そして死んでいく。そのことを受け入れていくという生き方を全うしたという話だ。そして、今、彼女の体は台湾のある病院に献体されている。将来の医学に役立ててほしいというのも彼女の意志だったという。「彼女はそういう生き方をしたのだから、それでいい。だから私たちも悲しまないで、自分の人生をがんばって生きていきましょう」と、旦那は亡くなった妻の代弁者のようにメッセージをくれた。涙も見せず、笑いもあり、そして大変強いメッセージを投げかけた。
「心覚」・・・覚とは、単に記憶しているということではなく、目覚める、覚醒するという意味も込めている。彼女はやっぱり素晴らしい人間であり続け、彼女らしい人生を全うしたことがよくわかった。いつも、「MASAKOはすごいよ、君はすごいよ。」と言ってくれていたことが今日の私を支えている。私も「心覚」を大切に生き続ける。陽気な旦那さんは、私が創ったこの曲を日本語で歌えるようにがんばる!と言った。
アンソロジー。ANNEは、やっぱり私の心の華。永遠に。
わざわざ妻のメッセージを伝えるために、そして彼女との思い出を確認するために日本を旅する旦那の生き方に心打たれた。
台湾、上海、香港・・・そして日本。彼女とは約20年の間にアジア各地で会い、仕事も協力しあった。そして、最後の面会は台北のスタバでのクリスマス。そのときは足まで癌が転移していたと初めてきいた。それなのに痛いと言わずずっと笑っていた。今思えば、それが彼女のクリスマスプレゼントだった。
「心覚」からのクリスマスプレゼント
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