小学校の同級生のお父さま。父親同士も同級生だったかも。
とにかく父親同士が仲良しで、遊び仲間でもあった・・
そんな時代もあった。
そのおじさまは、私が子供の頃から、ずっと電気屋さんだった。
町の電気屋さん。
先日の白熱電球工場と同じように、町の元気屋さん自身も
今や貴重な存在になって久しい。
そのおじさんは、私がふるさとライブを行うようになってから
毎年、毎回音響担当。といっても、私がもっているアンプを
活用し、うまく響くようにと小技を利かせ、昼の部も夜の部も
見守ってくれた。
当時、親が運営していたマンションのクーラーの取り付けも
ずっとお願いしていた。
とにかく、電化用品といえは、そこで買う。というのが
わが家のルールだった。
イオンができようが、何ができようが、量販で家電を買う
ということはしなかったわが両親。
ファックスが壊れた、電話の設定がおかしいといえば
電話一本で駆けつけてくれた、町の電気屋さん。
そして最近の電気屋さんは、ビデオの撮影もするようで、
私のライブのときも、注文はした覚えがないが、毎回ビデオ撮影を
してくれていた。(それをあとで見た記憶もないが・・)
母親が胃がんになった年、そのおじさまも同じ病になってしまった。
お互いに励ましながら、闘病してがんばってきたが、
そのおじさまが、昨秋のライブのときにはちょっと心配な状況だった。
とても立っていられない状態なのに、無理して音響担当を担い、
夫婦で助け合って最後までつきあってくださった。
弱っている旦那さんを支える、奥さまの姿が今も浮かぶ。
そして年越え。衰弱していないか心配で、帰省時に花をもって
いったが、留守だったので玄関において帰った・・。入院中だった。
ずっと気になりながら、2月も後半。
新潟出張中、その日は2月22日。ふーふーふーはおでんの会。
と新潟おでんを盛り上げる会の仲間に会い、ふーふーふー。
翌日に両親から
「電気屋のおじさん、昨日亡くなったよ」
と連絡が入り・・。ふーふーふーといっている間に、
おじさんは旅立たれたのか・・・。
ふと何十年も会っていない同級生のことが浮かび、
いつも夫婦で助け合っておられた奥様のことが浮かび
そして、やせ細ってひょろひょろしながらも、ライブのことを
心配してくれたおじさん自身の姿がずっと脳裏から消えない・・・。
私にとっての電気屋のおっちゃんは、この方だけだ。
今年もふるさとライブで音響やってほしかったのに。
演奏中におじさんがセッティングしたマイクスタンドから
マイクが突然堕ちたり、いろんなハプニングがあったけれど
それもこれも、本当にありがたくて・・。
父はきっと気落ちしているだろう。
飲み仲間がまた一人減ったのだ、
一緒に柳ケ瀬に、一緒にスナックにと
元気に繰り出していった友がまたひとり減っていくのだから。
私にとっての、わが家のとっての電気屋さん。
心からのご冥福をただ、ただ祈るばかり。
なぜか、この前やった白熱電球のことと重なってしまう。
町の電気屋さん。本当にありがたい存在でした。