365日という時間と記憶。

軽井沢でのバスの事故と同じ日に、新潟富山県境の高速トンネルで、お世話になった方が交通事故で即死。
1月15日は一生忘れられない日となった。テレビでは軽井沢の事故のことを大きく報じていて、それと連動して
余計に強く思いだされるが、この1年間、何度思い出していたことか。

家族となれば、最愛の人となれば、大切な方を失くされての1年は、つらく重く寂しく・・
その喪失感とは他人にはわからないものだと思う。
一緒に出掛けたところ、一緒にしたことはしたくない、行きたくない、思い出すから・・。
とお聞きしたことがあるが、生活のいたるところに亡き人の面影を感じることは・・。

それでも時間は人の悲しみを癒してくれるのだろうか。
残された人は悲しくても、それを乗り越えて生きていかねばならない。

時間は毎日過ぎていく。毎日生活は繰り返す。
目覚めて、食べて、働いて、休んで・・。
最愛の人がいない状態の生活を何度続けたら、不在の生活に慣れることが
できるのだろうか?

365日は短いか、長いか。
それもわからない。

いつかそんな日々を過ごす。生きているとは出会って、かかわっていつか別れること。

その方のご家族が、悲しみを乗り越えて
お元気に過ごしておられることを心から願っている。

今日も、彼女に出会った最初の日と最後の日を思い出す。
永遠に安らかに。そしてご家族を見守り続けてくださいね。

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