ずっと応援している若手経営者がいる。
なかなか具体的にお手伝いすることが難しいため、せめてもと思い、
時々食事に誘い、息抜きをしてもらうようにする。
彼にはピアノを弾く姉さんがおられたが、若いときに病死されたと聞き、
そのお姉さんの代わりはできないが、それでも大丈夫かな、大丈夫かなと
弟のように心配はしている。
3カ月ぶりぐらいの面談。たまには鍋でも、と誘ってみる。
寒い冬の日は、鍋はいい。大した会話がなくても、その鍋を一緒につついて
いるだけでもほっこりするものだ。
久しぶりに会うので、世界情勢、今までしたことのない政治についてのこと
田舎の話、東京暮らしのこと・・などなど、ぼつぼつ話し、食事をとる。
雪がちらつく夜道、その社長は駅まで車に乗せてくれ、そして握手をして
別れる。「がんばってね、お姉のつもりで応援しているから」。
その2時間後、お礼のメールが入った。
わたしが仕事のことをあえて会話せず、世間話に終始していたことを
感謝してくれるメールだった。
どんなに相手を心配していても、核心に触れる話題が事態をよくする
とは限らず、鍋でもつつきながら、ゆるい話、すぐ自分にふりかかって
こない話題をするということも時には意味がある。
世間話といっても、ついつい自分の考えを述べてしまいがちではあるが
話題はいつでも豊富に。
そして冬のコミュニケーションに、鍋はやっぱりいいようだ。
ときには鍋を囲み、話題を変える。
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