築地で生きた方へ、合掌。

出会いは会社員のころ。ある取材の仕事で経営コンサルタントなる方から
紹介を受けた。当時、バリバリのニッチ市場の社長さん。
とにかく群れず、努力の人。
名古屋からカバンひとつで上京し、のち脱サラし、起業。
アメリカへはよくマーケティング視察に出かけ、それがその方の
大切なリフレッシュでもあり、仕込みの時間でもあった。
巨大組織との闘い、権力的なものとの闘い。
とにかく孤軍奮闘、ときにはワンマン経営者にも見えることがあったが
実は心やさしい人でもあった。
30歳前後で一度お会いし、しばらく仕事をお手伝いし、その後ご無沙汰し
そして7~8年前に再会。会社員時代には、独立をよく勧められたことも
懐かしい。
再会したときは昔とは状況が違っていた。いろいろご苦労があったようだ。
それから、頻繁にお会いし、少しでもお役に立てればと思い、いろいろ
かかわらせていただいた。
しかし、体力の低下もあり、昔のようにパワフルに動けないことへの
ジレンマもお持ちで・・。
ある時から、もうしんどいので、しばらく仕事を休みます。
という連絡があり、回復を待った。
その後、秘書の方から体調不良のため、会社をたたむことにした
との連絡。
それから、約1年。
回復を待っていた。会社はなくなっても、またお会いできたらいいと
思っていた。
秘書の方の連絡先は知っていたが、あまり頻繁に連絡するのも
どうかと思い、気になりながら、1年を過ごした。
年末だから、やっぱりと思い、勇気をもって電話をしてみた。
「社長は、すでに亡くなりました。誰にも言うなという遺言で
身内だけで済ませました・・。連絡できず、すみませんでした」
この言葉を聞くのが怖かったから、電話ができなかったのかも
しれない。

そう、こういう方だった。
いつも孤軍奮闘だった。でも一緒に食事をすると、話をすると
とても喜び、時間を忘れ、話し続けられた。
ウィスキーのロックの上に水を入れて飲む飲み方がお好きらしく、
「フローティングというんだよ」
少し自慢気に教えてくれた、築地のすし屋での会食は25年前か。

築地で起業されて以来、ずっと築地だった。
最後にお会いしたときも築地だった。
ホームグラウンドだったようだ。

電話をおいてから、ぼーっと立ち尽くした。
ずっとずっとその半生を思い出して
8か月も知らないでいて申し訳なかったと思った。

年末の押し寄せる人の波が少し収まったころに、
築地に行こうと思った。

お世話になった人たちが、星になっていく。
最後、声も出なくなっていたので、きちんとお別れを
会って言えないままになっていたのが、心残り。
心からご冥福をお祈りします。

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